そして、闇の帳が下りた。杜の瘴気のせいか、星空は見えない。一つの光さえも届かな
い杜の中夕香はいた。
「飯だ」
 川で取ってきたらしい魚を焼いた物を夕香に渡し都軌也は自分の分をとろうとせずに胸
に手を当てた。
「どうしたの?」
「いや、神気に包まれている。……という事は?」
 うまく龍神の所についたようだと微笑んだ。その顔も月夜より生き生きとして年相応の
顔だった。
「食べないの?」
「ああ。食うか?」
 頷くと二つ分の魚にかぶりついた。自然の物を食べるのは久しぶりだった。売り物に出
回っている魚より美味い。その様子を都軌也が見ていた。
「時として、妖怪の方が人らしい面を持つときがある」
 口に出たのは夕香が好かない小難しい事で心の中で苦笑した。だが、夕香は食べながら
その言葉に聞き耳をもってくれている。
「それは集落の中であったり、日常生活の些細な事であったりとする」
「?」
「例えば、川魚を食った時大半は生臭いだのといってその恩恵に感謝せずに捨てる。それ
は人々が飢えてないからだ。妖はいつ飢えるか分からない。だから今日の恩恵を感謝して
食べている。そこら辺から妖と人の対立があるんだろう。……飯中に悪いな、小難しい事
いって」
 肩を竦めて言った。夕香はくすりと笑って慣れていると答えた。そこが唯一変わってな
いところなのだろう。という事は、ふとしたとき、何か小難しいことを言うのは本質なの
だろう。
「変な本質だな」
 自分で思った。近くにあった木に寄りかかると刀を召喚してそれを抱え込んで目を閉じ
た。
「早めに休めよ」
 そう言うと、都軌也の気配が治まった。静かになったのだが警戒しているのだろうか鋭
い気配があたりに振りまかれている。
「寝ないの?」
「ああ」
 都軌也は肩に頬寄せて目を伏せた。その姿が言っていた。心配するなと。その言葉無き
言葉に頷いて夕香は丸くなった。夏だから何もかけなくても風は引かないだろう。それに
よく言う。馬鹿は風邪を引かない。自覚済みな分まだマシな分類だろう。
 すやすやと眠り始めた夕香を見て、そっと溜め息を吐いた。言葉には出してないが夕香
にはやはり月夜なのだろう。自分はいらない。この体に帰ってきたらいろいろ文句をいっ
ておこうと覚悟して微笑んだ。
「あの教官は何を考えてる」
 あそこまで読めない人は初めてだ。実は親戚をたらい回しにされている時、読心術を身
に付けていた。
「でも、悪い感じはしないからいいか」
 狙いが分からないが悪意は感じられなかった。それさえ隠しているのであれば鼻が何か
物を言うだろう。
 悪意が感じられなくてよかったと安心していると警戒の網に引っかかる物があった。刀
を握り締めて立ち上がって結界から出た。
 そして、朝が来た。夕香は日の光で目が醒めた。首を傾げて体を起こすと血まみれの都
軌也が視界に入った。
「どうしたの?」
「ああ、いや、気にするな。水浴びでもすればとれる。返り血だ」
 否、返り血以外の血も付着している。その顔が異様に蒼いのを見て眉をひそめた。
「何が来たの?」
「ムカデ。昨日のだ」
「で、傷負ったの?」
「うん。そうそう。毒も喰らっちゃってね。まあ平気だろ。行くぞ」
 毒を喰らったとは思えない程の軽快なステップですたすたと歩く都軌也に溜め息を吐い
て吐いて行く。自分は彼ではないのだ。その苦しさもわからない。平気といわれたら平気
なのだと思うしかない。
 そして、何も遭遇せずに突然視界が開けた。息苦しいまでの神気が立ち込めるそこは一
つの池だった。その中心には古びた祠があり供物は何もないようだった。池の底は深く、
一番深いところは、五メートルはあるだろう。
 確かに不思議なところだった。結界も張ってないのにもかかわらずあるところを境に神
気が溢れた。水神の神気が辺りに満ち風が吹き荒れた。都軌也は膝をつき苦しげに息を吐
いていた。寄ろうとしたが止めた。ふわりと蒼い珠が月夜の体に向かって行く。そしてす
うとその胸に収まった。
「あー、うっせーな。あとでだ」
 ようやくいつもの口調に戻った月夜は自分が体を去っていた時に何があったのかを知っ
た。
「あの単純は……」
 毒を喰らってしまったらしい。やけに体がだるい訳だ。唸ってから目を細めて舌打ちを
するとそして目の前の池に降り立つ龍神に月夜は一礼した。
「何用だ? 人と天狐の合いの子よ」
「その泉の水を一升ほど分けていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
 神が出てきたという事は託宣が必要だ。月夜は静かに言った。その声音に月夜に戻った
と直感的に感じた。その横に寄り添ってふらついている体を支える。
「一升ぐらいは良い。水の力を持ちつつも火の力をもつ相反する力を持つのか。まだその
苦しみを味わう事もない。不思議よの、童は」
 月夜に向かって水神である女神はいうと一瞬で人形になった。黒い髪は肩につくくらい
の長さでそろえられていないその髪が風によって靡いている。白い体を隠すのは薄い布で
肩は剥き出しになっている。黒い髪に彩られた白い顔は鋭く美しかった。
「面白い。汝に加護を与えよう。汝が生きるその時は神にとって瞬きの間。それぐらいの
時は付き合ってやろうぞ」
 謳うように言うあくまでも尊大で気まぐれな神に月夜は驚いたが頭を下げた。
「ありがたきお言葉」
 静かに返すと月夜の目の前に白い光が閃いた。月夜は戸惑いつつその光に触れその中に
ある指輪を取った。そしてその指輪を右手の中指に填めた。細い白金の輪に薄い水色の、
角度によって透明に見える石がついている。
「外に待ち人がいるようだな。早く戻るが良い」
 女神はそう言うとその場から消えた。清冽な風があたりに吹き荒れた。水は穏やかだが
突然荒れることもある。それを表しているようだった。
 突然現れて突然消えた龍神にぽかんとして二人は池を眺めていた。



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